お墓のトラブルは、墓じまい・改葬時の親族間の合意形成の失敗、費用負担、継承者の問題、寺院とのトラブル(離檀料など)、
石材店での不正取引(高級石材偽装など)、墓石の建立時期や供養方法に関する意見の相違など、多岐にわたります。
トラブルの多くは事前の十分な話し合いや情報共有の不足が原因であり、
解決には国民生活センターや弁護士、全国お墓なんでも相談室、信頼できる石材店などへの相談が有効です。
今回の終活についての管理人さんのブログにて取り上げられている墓のトラブルについては、
私の周りでも耳にする機会が多くなっています。
2025年08月31日ブログ記事 団塊世代 喜寿の理想の終活・迷惑な終活
そこで仏教についてですが、我が家もこの先どうするかと兄弟で話し合った経験から得た情報を紹介します。
記事投稿 By Rocky 2025/9/13
長男である祖父が家督を相続したものの事情があって郷里を離れたために、弟に家督を継がせて転居先で新しく墓を立てました。
その折に、長男が後を継ぎ墓守をするよう家訓を認めました。
ところが諸般の事情があり今は三男である私が墓守をしています。
まさに諸行無常です。
そんなこともあり、回忌法要を繰り返す中で仏教の教えを説明して、墓仕舞いの了解を得ました。
実は祖父が建てた墓は遠くて気軽にお参りができないために、親父が町内に墓替えしたこともあり、
まだ墓が新しいので記念碑として残し、遺骨を海洋散骨にすることにしました。これなら子どもたちが墓仕舞いをする事になっても手間取ることがないと思います。
また法要は気が向いたときに各自でお参りすることも確認し合いました。
そもそも仏教であるのに仏陀の教えを習う機会に恵まれていなかったために、墓の意味さえ知らなかったのです。
調べてみればブッダの亡骸は荼毘に臥されてガンジス川に葬られたのであり、墓はないんですよね。
それが中国を経由して日本に入り、いくつかの宗派に分かれて墓を持つようになったのであり、墓にこだわることはないんだと思います。
「仏も昔は人なりき、もとは人であって、それが仏になったという仏陀の教えそのもの」
だと言われ、来世のために生きるのではなく「現世で正しい生き方をして功徳を積み解脱する」ことを重要視したので、
「自分がどう生きるか」が大切なんです。
さらに「人生は苦である」とも言ってますが、苦の元は欲なので困ります。
と言っても無欲では生きられないので「少欲知足」を忘れないことなんですね。
仏教の開祖はブッダあるいは釈尊、お釈迦さまと言われますが本名はゴータマ・ シッダッタなんですね。
ブッダとは「目覚めた人」「悟った人」の意味で修行完成者を指す呼び方なので、各お寺を取り仕切る住職さんは皆ブッダなんです。
そして釈尊やお釈迦様はサーキャ族の出身によるものです。
またゴータマ・シッダッタは「自燈明」「法燈明」を説いて80年の生涯を終えたのです。
これは自らを拠り所とし、法(教え)を拠り所として精進しなさいと言うことで、多くの宗教に見られる教祖を崇めることではないのです。
そして教祖亡き後に世界に広がった仏教は多くの宗派に分かれて今日に至っており、
信者の悩みに寄り添うことなく葬式仏教と揶揄される現状を嘆いていることでしょう。
参考外部リンク ブッダの教えとは
ところで、墓仕舞いの多くは改葬と言われるお墓の引っ越しのような気がします。
今流行りの樹木葬であったり、永代供養墓、合葬墓、納骨堂や寺院に関わらない公営霊園などでは、
それなりの維持費用かかるのでよく調べることが大切です。
我が家の納骨は菩提寺のお墓と総本山に収めています。
その本山で知ったことですが分骨せずに総本山のみに納骨する「本山納骨」ができるそうで、「普通納骨」「五年納骨」「十年納骨」「二十年納骨」「五十年納骨(永代供養)」があります。
菩提寺と揉めているなら事情を説明して本山納骨を相談してみると良いでしょう。
本来信徒であることが条件なのですが、多くの本山では申込者の意志を尊重して宗派や戒名なしでも受け入れてくれるそうです。
参考までに「本山納骨」ができるお寺を書いておきます。
「真言宗総本山金剛峯寺」
「天台宗総本山比叡山延暦寺」
「浄土宗総本山知恩院」
「浄土真宗大谷派総本山大谷祖廟(東本願寺)」
「浄土真宗本願寺派総本山大谷本廟(西本願寺)」
「日蓮宗総本山久遠寺」 「曹洞宗総本山永平寺」
「和宗総本山四天王寺」
本山納骨なら、子どもたちは小旅行を兼ねて立派な総本山参りができるので良いかなと考えた時がありました。
でも私は仏陀の古代仏教には心惹かれますが、菩提寺の仏教には馴染めないので、火葬しても収骨をしない
「0葬」にするよう家族に伝えてあります。
というのも関東と違い、こちらでは部分収骨と言って少量の遺骨を収骨するだけで、残りは火葬場で処理します。
なので故人をぞんざいに扱うものではありません。
そもそも我々の体は親を介してではありますが、自然界に存在する水素、
酸素、炭素、窒素等々の原子が結合して存在しているのであって、死とともに分解されても原子は滅しないという「物質不滅の原理」
「質量保存の法則」を説明して0葬に納得してもらっています。
もっとも関東の全収骨と言っても、摘めない小さなものは火葬場に委ねてくるので受け止め方なんですがね。
仏教は合掌、神道は拍手と作法は知っていても、それぞれの教義を理解している人は少ないのではないでしょうか。
そのため住職さんの言われるままに対応しており、葬式仏教と化した最近のお寺さんとは信頼関係が薄れてきたんでしょうね。
ところが今ではどこの本山もHPで発信しており、お墓の維持に躊躇っているなら菩提寺の歴史や教義、
納骨などを調べると納得できることもあります。
そのうえで納得できれば続ければ良いし、そうでなければ宗派を替えたり無宗教を選択すればよいのではないでしょうか。
以前聞いた話では、葬式費用が高いのでお寺を通さずに葬儀をしたいが、戒名だけはほしいと言う人がいました。
戒名は授戒し仏門に入った者に授けられるものだとは理解していないんでしょう。
そもそも墓参りをしても、戒名では故人を思い出せないんじゃないでしょうか。
仏教の開祖であるブッダに戒名はないんですがね。
墓のトラブルを抱えておられる方には参考になります。
参考外部リンク お墓はなくてもだいじょうぶ